阿部和重を読む
この3年ばかり、芥川賞受賞作を積ん読にしてゐた。いちばん古いのが阿部和重さんの『グランド・フィナーレ(以下・GF)』。阿部さんは現代文学のトップランナーのやうな人なので、主要の作品は押さへておかうと思ひ、デビュー作『アメリカの夜』と、アマゾンのレビューの多さから代表作とみなされる『インディヴィジュアル・プロジェクション(以下・IP)』とを併せて読んだ(作品の発表順に読んだ)。
いちばん面白かつたのは『IP』、“現代文学の臨界点*1” なるものはよく分からないが(w 『アメリカの夜』もクライマックスで主人公の大立ち回りがあり、読後感は悪くはない。
阿部さんの文体は読みやすく、読み手を引き込む力はあると思ふ。ただ『GF』は小説の態をなしてゐない。文庫版のアマゾンレビューに「阿部和重は『小説』を超えた『小説』を書いている」と褒めちぎゐ人がゐたが、失笑を禁じ得ない。せめて芸能祭の当日までは書かないと*2。
去年のクリスマスからまる一年が経った今、カメラを手にしなくなったわたしは、言葉のみを使いこなして現実に介入しなくてはならない難儀な場所へと辿り着いてしまった。
果たしてわたしはこの難関を、乗り切ることが出来るのだろうか。
『GF』単行本138頁よhttp://d.hatena.ne.jp/meigara/editり(太字は引用者による)
映画については色いろと語つてきたが、自らはメガホンを執らずに小説家としてペン一本で勝負をする、といふ意味が太字のあたりに込められてゐるのだらう。これは小説家としての決意表明であり、この一点においては『GF』は阿部文学のターニングポイントとして評価するべきかもしれない。
阿部和重といふ小説家に興味を持つた人は、まづ『IP』を読んだ方がいい。芥川賞受賞作といふ肩書きに惑はされて『GF』をはじめに読むのは勧められない。